ヒノデノサケビ

70’sの映画や音楽を中心に

カントク、海へ(藤田敏八監督の自然葬)

図書館検索で意外な本がヒットした

リタイヤしてから、地元の図書館を利用することも多くなりました。映画関連書籍の棚で藤田敏八監督に関する書籍を探すのですが見当たりません。

しかし、蔵書検索で「藤田敏八」を検索したところ、2冊だけヒットしました。

①「男の背中」山下勝利(著)河出書房新社(1999)

②「葬送の自由と自然葬/うみ・やま・そらへ還る旅」葬送の自由をすすめる会(編)凱風社(2000)

f:id:kedamonz:20210418162146j:plain

「葬送の自由と自然葬」葬送の自由をすすめる会(編)

意外だったのは「葬送の自由と自然葬」という本です。コンテンツに「思い出の藤田敏八監督」という一節があり、間違いなく映画監督の藤田敏八監督について書かれているようです。

早速借りて読んでみると、藤田敏八監督の自然葬は、亡くなってから10か月ほど経った翌年の6月21日に行われ、灰にした遺骨を豪華帆船の上から汽笛と共に相模灘に散灰されたと書かれていました。おそらく本人が生前に希望していたことなのでしょう、藤田敏八監督らしいお別れだと思います。

著者は映画関係者ではなく・・

この本で「思い出の藤田敏八監督」の一節を書かれた東顯さんは、映画業界とは無関係な方で、藤田敏八監督の最後を看取った四人目の奥さんが銀座でやっていたお店「おおくら」のお客さんだそうです。「映画芸術」の藤田敏八追悼特集で脚本家の桃井章さんが「おおくら」の様子を次のよう書いています。

…愛称パキさん、僕たち映画関係者はそう呼んでいたが、「おおくら」では違った。「カントク」だ、「監督」ではなく、ニュアンスとして気軽い感じのカタカナの「カントク」である。

…一人きりになるのを恐れてか遠距離通勤をしている常連客を自分のマンションまで引っ張って行って泊めたりした。

 …ヒガシさんは「カントク」のマンションを藤田ホテルと呼んで、何度かチェックインしたらしい。

…(「おおくら」には)「何故映画を撮らないんですか?」という質問を浴びせる客はいなかった分だけ煩わしくなかったのだと思う。

*1

 「葬送の自由と自然葬」の東顯さん(ヒガシさん)の文には、病院に原田芳雄さんと桃井かおりさんが見舞いに来るといって、藤田敏八監督が入浴して身だしなみを整え、嬉しそうに待つ様子が書かれていてます。最後の様子を知るいい資料だと思います。

*1:『「カントク」は「おおくら村」の村長だった。/桃井章(季刊・映画芸術 1997-SPRINNG)』より

藤田敏八監督に関するネット記事

Wikipediaの間違い

誰もが先ずWikipediaを調べますが、"藤田敏八”の項目では、概要部分に次のような間違いがあります。

> 『配偶者 過去にあり(4人目赤座美代子)』

本文中では、

>『女優の赤座美代子との結婚生活を晩年に解消し、4度目の結婚をしている。』

つまり、赤座美代子さんとは3度目の結婚であることが正しく記載されているのですが、そこまで読まない人も多いのでしょうか、この誤った情報の方を引用したサイトがいくつかあります。

・この人は誰?

画像検索していて気になったものがあり、サイトを見てみると、どう見ても別人の写真が藤田敏八監督として掲載されていました。

f:id:kedamonz:20210409123514j:plain

TV-RANKING/藤田敏八の出演時間より

 この人は誰なのか、なぜ間違えたのか、気になってGoogleレンズで調べてみました。

ムーランルージュの青春」という映画のサイトがヒットし、スタッフ欄で紹介されていました。千葉一彦さんというこの映画のプロデューサーの方です。プロフィールを見ると昭和30年に日活の美術監督となり、「八月の濡れた砂」も担当された方だそうです。

この「TV-RANKING」というサイトは、機械的に情報を収集して作られているようで、確かに参考になることもありますが、チェックは必要ですね。

はじめまして

・はじめまして

サラリーマンをリタイヤして2年ちょっと、昔(1970年代)の映画や音楽を観たり聴いたり一人で懐かしんでいましたが、記憶もあやふやで、思い違いもたくさんあることに気づきました。

ブログに記録することで記憶の確認や修正ができるかな、と思ってこのブログをはじめてみます。

・「赤い鳥逃げた?」をもう一度

映画を好きになったきっかけは、藤田敏八監督の「赤い鳥逃げた?」(1973年公開)です。当時は封切り館でも入れ替えは無かったので、同時上映の「反逆の報酬」(澤田幸弘監督)を挟んで2度見ました。

それから藤田敏八監督のファンとなり、この人の映画は全部見ようと思いましたが、残念ながらまだ見ていない(見れなかった)映画もあります。さらに残念なことに20年以上前(1997年)に藤田敏八監督は亡くなっており、新しい情報を得ることもほとんどなくなりました。

そんな訳で、このブログのメインテーマは、藤田敏八監督の再発見です。

 

f:id:kedamonz:20210406190641j:plain

キネマ旬報1973年1月上旬号」より、「赤い鳥逃げた?」撮影中の監督