沢田研二ソロ活動50周年~「リボルバー」
日本映画専門チャンネルに登録してしまった
今年はジュリーこと沢田研二さんのソロ活動50周年だそうです。スカパーの日本映画専門チャンネルで特集があり、藤田敏八監督最後の映画「リボルバー」(1988年10月)も放映されるので、「リボルバー」見たさに思わずチャンネル契約してしまいました。
「リボルバー」の他にも「炎の肖像」(1974年12月)「太陽を盗んだ男」(1979年10月、大傑作!)「ときめきに死す」(1984年4月)ショーケンとの共演「カポネ大いに泣く」(1985年2月)タイガース時代のGS歌謡映画などもラインナップされています。
「リボルバー」は封切り時に見たきりで、もう一度見たいと思っていたのですが、配信もなく、中古のDVDも入手できず(ヤフオクにたまに出ても高額設定)、この特集企画に飛びつきました。
※「炎の肖像」や「太陽を盗んだ男」は、まだ新品がヤフオクより安く買えます。
「リボルバー」~藤田敏八劇場ラストショー
33年振りに見た「リボルバー」は、それぞれ無関係なはずの人物の物語を短いシーンで重ねながら鹿児島から札幌へ進行するという良く計算された物語で、記憶しているよりまともで良くできた映画だと改めて感じました。
しかし、今までの藤田敏八監督映画のように、主人公たちが最後に自滅したり、糸の切れた凧のようにズームアウトせず、「1か月後」というエピローグによって一件落着的に「終」マークになります。
「映画芸術 1989春季号」(1988年ベスト10発表号)に掲載された加藤彰監督の評が共感できる内容だったので、引用させてもらいます。
藤田敏八の作品系列の中では、毛色の変った物だった。…(略)…こんな云い方は、ひとりよがりで失礼かもしれないが、敏八映画の進歩を見た気がした。大ラスト、指鉄砲で射たれたジュリーは、舗道に倒れて大の字になったりはしない。
二十年前だったら、敏八はここでフィルムを止めたかもしれない。だが、今は、実に当たり前のエピローグを続けて撮ってゆく。
…(テレビドラマで見た昔の敏八映画のようなラストを見て”救いようもなく古い”と感じ)…その時改めて「リボルバー」が、オーソドックスな新しさに到達してることを確認できた。
この時、もちろん誰もこの映画が藤田敏八監督の最後の劇場作品になるとは思っていなかったのです。
※原作も読み直してみたくなりました。