ヒノデノサケビ

70’sの映画や音楽を中心に

カントク、海へ(藤田敏八監督の自然葬)

図書館検索で意外な本がヒットした

リタイヤしてから、地元の図書館を利用することも多くなりました。映画関連書籍の棚で藤田敏八監督に関する書籍を探すのですが見当たりません。

しかし、蔵書検索で「藤田敏八」を検索したところ、2冊だけヒットしました。

①「男の背中」山下勝利(著)河出書房新社(1999)

②「葬送の自由と自然葬/うみ・やま・そらへ還る旅」葬送の自由をすすめる会(編)凱風社(2000)

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「葬送の自由と自然葬」葬送の自由をすすめる会(編)

意外だったのは「葬送の自由と自然葬」という本です。コンテンツに「思い出の藤田敏八監督」という一節があり、間違いなく映画監督の藤田敏八監督について書かれているようです。

早速借りて読んでみると、藤田敏八監督の自然葬は、亡くなってから10か月ほど経った翌年の6月21日に行われ、灰にした遺骨を豪華帆船の上から汽笛と共に相模灘に散灰されたと書かれていました。おそらく本人が生前に希望していたことなのでしょう、藤田敏八監督らしいお別れだと思います。

著者は映画関係者ではなく・・

この本で「思い出の藤田敏八監督」の一節を書かれた東顯さんは、映画業界とは無関係な方で、藤田敏八監督の最後を看取った四人目の奥さんが銀座でやっていたお店「おおくら」のお客さんだそうです。「映画芸術」の藤田敏八追悼特集で脚本家の桃井章さんが「おおくら」の様子を次のよう書いています。

…愛称パキさん、僕たち映画関係者はそう呼んでいたが、「おおくら」では違った。「カントク」だ、「監督」ではなく、ニュアンスとして気軽い感じのカタカナの「カントク」である。

…一人きりになるのを恐れてか遠距離通勤をしている常連客を自分のマンションまで引っ張って行って泊めたりした。

 …ヒガシさんは「カントク」のマンションを藤田ホテルと呼んで、何度かチェックインしたらしい。

…(「おおくら」には)「何故映画を撮らないんですか?」という質問を浴びせる客はいなかった分だけ煩わしくなかったのだと思う。

*1

 「葬送の自由と自然葬」の東顯さん(ヒガシさん)の文には、病院に原田芳雄さんと桃井かおりさんが見舞いに来るといって、藤田敏八監督が入浴して身だしなみを整え、嬉しそうに待つ様子が書かれていてます。最後の様子を知るいい資料だと思います。

*1:『「カントク」は「おおくら村」の村長だった。/桃井章(季刊・映画芸術 1997-SPRINNG)』より