藤田敏八監督映画音楽のプレイリスト(2)
(前回のつづき)
8.「バージンブルース」野坂昭如
映画化の前から野坂昭如さんの歌は良く聞いていました。「終末のタンゴ」好きでした。そしてこの「バージンブルース」~ジンジンジンジン血がジンジン梅も桜もほころびて~飲み会の余興に歌ったこともあります。劇中では野坂昭如さんが「黒の舟唄」を歌うシーンがあります。
9.「危険な関係のブルース」クリエイション~「危険な関係」より
フランス映画のリメイクで、藤田敏八監督映画としては、今ひとつ印象が薄いのですが、オリジナル映画のテーマ曲をカバーしたクリエイションの「危険な関係のブルース」はギターがメチャクチャカッコいい。映画見た後、レコード屋に直行しEP盤レコードを買いました。「NO PROBLEM」の原題でベスト盤に収録されているようです。
10.「帰らざる日々」アリス
「赤ちょうちん」に並んで抒情的フォークソング映画の傑作だと思います。キネマ旬報読者ベスト・ワンの人気作品です。「八月の濡れた砂」をもっとウェットにした、これぞ青春映画。新人脚本家の登竜門である城戸賞受賞作の映画化であり、アリス「帰らざる日々」は後付けですが、泣かせるうまい選曲だと思います。
11.「十八歳、海へ」加橋かつみ
タイトルから藤田敏八ワールドを期待しましたが、藤田敏八映画の魅力であるコミカルな即興的演出があまり見られませんでした。主題歌も記憶になかったのですが、先日ヤフオクでサントラEP盤レコードが出ていたので落札してしまいました。原曲はゴダイゴの「ラスト・アワー」という英語詞の曲で、喜多條忠さんが「十八歳、海へ」の日本語歌詞を付けています。CD化はされていないようです。
12.「スローなブギにしてくれ」南佳孝
角川映画のメディア・ミックス戦略によって、藤田敏八映画としては異例のテレビCMが行われ主題歌もヒットしましたね。藤田敏八監督の映画で初めて2時間を超える一本立てロードショー作品でした。Want you~♬が耳に残り、主題歌のEP盤レコードすぐに買いました。B面「ラプソディ」は不穏な雰囲気のラストシーンに流れます。
13.「サントワマミイ」ヴァージンVS~「ダイアモンドは傷つかない」より
山崎努さん連投の「ダイアモンドは傷つかない」、音楽は井上堯之さんですが、挿入歌として「サントワマミイ」~あがた森魚さん率いるヴァージンVSのユニークなカバー~が使われています。当時のバラエティTV番組「今夜は最高」に藤田敏八監督がゲストだった時があり、ゲストが歌を歌うコーナーで藤田敏八監督がこの「サントワマミイ」を歌っていた記憶があります。もう一度見てみたい。
14.「ラブホテル」下田逸郎~「ダブルベット」より
「ダブルベッド」脚本の荒井晴彦さんは、2019年公開の脚本・監督作「火口のふたり」でも下田逸郎さんの曲「早く抱いて」「この世の夢」を印象的に使っており、コンピレーションCD「脚本家荒井晴彦が映画の中に流し込んだ下田逸郎の唄たち」をリリースしています。「ラブホテル」は同名の映画(相米慎二監督)があるので紛らわしいですが、「ダブルベッド」の挿入曲です。
15.「ランナウェイ・ランアフター」アン・ベルトウィッチ~「海燕ジョーの奇跡」より
大作らしくテーマ曲もスケールの大きい英語歌詞のバラードです。映画もフィリピンに舞台が移ってから藤田敏八映画らしくなって面白かったです。主人公も久々にラスト自滅します。EP盤レコードをすぐに買いました。CD化されたものは見当たりませんが、EP盤は中古で見つけられそうです。
藤田敏八監督映画音楽のプレイリスト(1)
「赤い鳥逃げた?」サントラLPの想い出
1973年、初めて「赤い鳥逃げた?」を見たあと、レコード店でサントラ盤LPを見つけました。少ない小遣いをはたいて買おうと思ったのだけれど、市川崑監督の「股旅」(1973年4月公開)のサントラ盤を同じコーナーで見つけ、迷った末「股旅」のLPを買いました。当時はビデオなどなかったので、劇中のセリフ(冒頭のユーモラスな仁義のやり取り)をもう一度聞きたかったのです。
その後何年も「赤い鳥逃げた?」も買っておけば良かったと後悔しましたが、2007年にソフトロック(喫茶ロック)ブームにのって樋口康雄さん(愛称ピコ)が見直され、「赤い鳥逃げた?」もCD化されました。私も何とか入手することができ、長年の後悔を晴らすことができました。
※中古がたまにアマゾンマーケットプレイスに出ます。
藤田敏八映画主題歌のプレイリスト
もちろん「赤い鳥逃げた?」の他にも藤田敏八映画で心に残る曲はたくさんあります。
1.「C子の歌」梶芽衣子~「野良猫ロックワイルドジャンボ」より
これは、野良猫ロックワイルドジャンボの劇中で梶芽衣子が歌う、胸にしみるいい曲です。「日活映画音楽集・監督シリーズ 藤田敏八」に収録されていますが、入手は困難なようです。YouTubeで探してみましょう。
2.「御意見無用」モップス~「野良猫ロック暴走集団’71」より
モップスがシングルリリースしたものとは、歌詞が異なり英語で歌っています。これも「日活映画音楽・・・」に収録されています。
3.「八月の濡れた砂」石川セリ
深夜放送で流れ藤田敏八映画を一躍有名にした曲。あのエンドロールの海とこの曲こそ藤田敏八映画を代表するイメージとなりました。
4.「赤い鳥逃げた?」安田南 「愛情砂漠」原田芳雄~「赤い鳥逃げた?」より
この主題歌、挿入歌、どちらも作曲・樋口康雄さん、作詞・福田みずほさん。特に詞の方はシナリオ中にもその歌詞が書かれており、映画の重要な要素だったのでしょう。映画では安田南さんが歌う「愛情砂漠」も印象的なのですが、前述のサントラCDには安田バージョンは収録されていません。残念。安田南さんはジャズ・シンガーですが、オリジナル・アルバム「Some Feeling」もなかなか良いです。
5.「修羅の花」梶芽衣子~修羅雪姫より
タランティーノ監督のおかげで一躍世界中で有名になりましたね。藤田敏八監督が生きていて「キル・ビル」を見たらどう思ったでしょう。照れくさそうに「まあ、いいんじゃないか」という感じではないでしょうか。最近、アルゼンチンのカンデ・イ・パウロと梶芽衣子さんの共演での配信が話題になり、その人気を再確認しました。
6.「赤ちょうちん」かぐや姫
おなじみ「四畳半フォーク」の代表作。東宝に「神田川」の映画化権を取られた代わりにかぐや姫の次回作「赤ちょうちん」と次々回作「妹」の映画化権を得たわけですね。音楽は石川鷹彦さん。前述の「日活映画音楽・・・」には、かぐや姫の歌う主題歌は収録されていませんが、インストの「神田川」が収録されています。ヒロインが飛び込んで自殺をしようとした浅く汚いどぶ川のシーンに流れ、劇場で笑いが起きました。
7.「妹」かぐや姫
曲がヒットするかどうか分からないのに「赤ちょうちん」のバーターで映画権を獲得した映画「妹」の主題歌。「赤ちょうちん」は主題歌のイメージを活かした抒情的な映画でしたが、この「妹」はミステリアスで奇妙な映画。映画音楽は木田高介さん。「赤ちょうちん」の石川鷹彦さん同様、70年代のフォークソングを支えた方ですね。
「秋吉久美子 調書」を読む
藤田敏八ファン=秋吉久美子ファン、必読
面白い! いわゆるタレント本と呼ばれる私生活やオフショットが売りの本ではなく、映画女優「秋吉久美子」の出演作品についてのロングインタビューです。(Amzonのレビューでは、写真が小さいなどというタレント本として見た低評価もありますが、参考にしないように)
著者の樋口尚文さん(監督もやっていることは、この本で初めてしりました)は、昔からキネマ旬報などで、活躍されていますが、秋吉久美子さんのデビューからのファンであり研究者ということで、そのインタビューの内容や秋吉久美子論も愛情と知識にあふれた素晴らしい内容です。
マネージャーが脚本家内田栄一さんの奥さんだったということもこの本で初めて知りました。
シラケ世代派とは「間違いたくない」気持ちから
70年代のポスト全共闘世代として、シラケ世代のミューズとなった秋吉久美子さん、このことについて語った部分が、なるほどと納得でき、印象的でした。
私の場合はミューズ的に時代を引っ張っていきたいというよりも、むしろ時代と間違えずにつきあいたいと思っていました。たとえば連合赤軍の永田洋子さんはそれを間違えた。 ~(略)~ 私は、間違えずに何かをなしたい。だけど力みかえって何かをなそうとすると、人は間違えてしまうらしい。 ~(略)~ それなら時代の空気を映して表現しながらも、同時に客観的な証人になりたい。そこがマスコミ的には「元祖シラケ派」という要約になったのでは。
同世代の私にもこの「間違えたくない」気持ちなんとなくわかります。インタビュアーの樋口さんはこれを「前向きにディフェンシヴ」「闘争よりも逃走」とまとめています。
藤田敏八映画ナンバーワンのヒロイン
「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」藤田敏八×秋吉久美子の三部作と呼ばれますが、これらが1974年3月、8月、11月のわずか1年の間に公開されているのは驚きです。~加藤彰監督共作の「炎の肖像」(1974年12月公開)も加えれば4連作、藤田敏八監督は同じ年に「修羅雪姫・怨み恋歌」も作っている!~
藤田敏八監督映画のヒロインとしては、日活ニューアクション時代の梶芽衣子さん、「赤い鳥逃げた?」「エロスは甘き香り」の桃井かおりさん、「もっとしなやかに、もっとしたたかに」「十八歳、海へ」の森下愛子さん、それぞれ印象的ですが、やはり作品群の充実ぶりから言って、秋吉久美子さんがナンバーワンでしょう。
沢田研二ソロ活動50周年~「リボルバー」
日本映画専門チャンネルに登録してしまった
今年はジュリーこと沢田研二さんのソロ活動50周年だそうです。スカパーの日本映画専門チャンネルで特集があり、藤田敏八監督最後の映画「リボルバー」(1988年10月)も放映されるので、「リボルバー」見たさに思わずチャンネル契約してしまいました。
「リボルバー」の他にも「炎の肖像」(1974年12月)「太陽を盗んだ男」(1979年10月、大傑作!)「ときめきに死す」(1984年4月)ショーケンとの共演「カポネ大いに泣く」(1985年2月)タイガース時代のGS歌謡映画などもラインナップされています。
「リボルバー」は封切り時に見たきりで、もう一度見たいと思っていたのですが、配信もなく、中古のDVDも入手できず(ヤフオクにたまに出ても高額設定)、この特集企画に飛びつきました。
※「炎の肖像」や「太陽を盗んだ男」は、まだ新品がヤフオクより安く買えます。
「リボルバー」~藤田敏八劇場ラストショー
33年振りに見た「リボルバー」は、それぞれ無関係なはずの人物の物語を短いシーンで重ねながら鹿児島から札幌へ進行するという良く計算された物語で、記憶しているよりまともで良くできた映画だと改めて感じました。
しかし、今までの藤田敏八監督映画のように、主人公たちが最後に自滅したり、糸の切れた凧のようにズームアウトせず、「1か月後」というエピローグによって一件落着的に「終」マークになります。
「映画芸術 1989春季号」(1988年ベスト10発表号)に掲載された加藤彰監督の評が共感できる内容だったので、引用させてもらいます。
藤田敏八の作品系列の中では、毛色の変った物だった。…(略)…こんな云い方は、ひとりよがりで失礼かもしれないが、敏八映画の進歩を見た気がした。大ラスト、指鉄砲で射たれたジュリーは、舗道に倒れて大の字になったりはしない。
二十年前だったら、敏八はここでフィルムを止めたかもしれない。だが、今は、実に当たり前のエピローグを続けて撮ってゆく。
…(テレビドラマで見た昔の敏八映画のようなラストを見て”救いようもなく古い”と感じ)…その時改めて「リボルバー」が、オーソドックスな新しさに到達してることを確認できた。
この時、もちろん誰もこの映画が藤田敏八監督の最後の劇場作品になるとは思っていなかったのです。
※原作も読み直してみたくなりました。
豚肉の焼き鳥で「赤ちょうちん」を思う
鳥電感
先日、日テレの「秘密のケンミンSHOW極」で埼玉県東松山市では、やきとりは鶏肉ではなく豚肉が常識という話をしていましたが、これを聞いて映画「赤ちょうちん」(1974年3月公開)を思い出しました。
同棲を始めた政行(高岡健二)と幸枝(秋吉久美子)、政行がお土産に焼き鳥を持って帰るのですが、幸枝は鳥電感というアレルギーの一種で怯えて食べない。「焼き鳥って言ったってこれ豚肉だぜ」と言いながら政行は一人で豚の焼き鳥を食べる。というシーンがあります。
実は私、学生時代を北海道室蘭市で過ごしたのですが、室蘭でも焼き鳥は豚肉が普通だったので、映画の中で「焼き鳥たって豚肉だぜ」というセリフをごく自然に「そうだよなあ」と受け止めていました。
懐かしくなって、YouTubeにアップされている予告編を見ました。予告編の字幕がアツイというか、やけ気味というか面白いです。「ボクたちの辞書にない言葉はユメ・キボウ・ミライ」「藤田敏八監督がまたまたキミとボクとあいつに投げつけた白手袋」「キミは何を武器にこの挑戦に応じるのか?」…何だか良くわからないけど、シラケ世代と呼ばれた昔の青年には響くものがありました。
「修羅雪姫」から「赤ちょうちん」
藤田敏八監督の作品は全部見ようと決意させた「赤い鳥逃げた?」の後に見たのは「修羅雪姫」(1973年12月)でしたが、正直いって期待していたものではありませんでした。だからこそ次に公開された「赤ちょうちん」には、前作の不満を吹き飛ばし、より一層面白く感じたのかもしれません。
70年代にリアルタイムで見ていない人にとって、同じ感情を共有しようと思っても無理なようです。「キル・ビル」を見て知ったという人が多いのでしょう映画格付サイトでは藤田敏八監督のベスト・ワンは「修羅雪姫」で「赤ちょうちんは」26作品中14位…残念です。
全26作品。藤田敏八監督が制作した映画ランキング - 映画格付
表現者はプラカードを担いではいけない
大林宣彦監督「最後の講義」
昨年(2020年)4月10日、肺がんで余命宣告を受けながら「花筐/HANAGATAMI」「海辺の映画館」の長編映画2作品を完成させた真の映画監督、大林宣彦監督が亡くなった事はまだ強く記憶に残っています。
最後の情熱をふりしぼり映画に向き合う姿を記録したテレビ番組がいくつか追悼番組として放映されましたが、その一つ「最後の講義」(初放送2018年3月)の再放送を見て、印象に残った言葉があります。
「表現者はプラカードを担いではいけない。それをするなら政治家になればいい」というものです。(黒澤明監督が大林宣彦監督に言った言葉だそうです。)
録画しておいた「最後の講義」を少し時間をおいてから見たのですが、丁度その頃、日本学術会議問題が話題になっており、正に表現者である映画人が抗議声明のプラカードを担いだニュースを知ったからです。
日本学術会議問題に抗議のプラカードを担ぐ映画人
この問題を聞いたとき、日本学術会議のメンバーが内輪の推薦だけで何年も密室で選ばれていたことに、むしろ私は驚きました。外された人のインタビューを聞いても、学問の分からない政治家が口を出すなといった上から目線の言い方に反感を覚えました。だから、映画人による抗議声明には映画ファンとして素直に支持できない複雑な思いがあります。
特に藤田敏八監督最後の映画「リボルバー」の脚本家でもある荒井晴彦監督や「ガメラ」や「デスノート」といった娯楽作品の名作を作った金子修介監督(日活の「みんなあげちゃう」は傑作コメディ)も抗議声明に名前を連ねていることは意外でした。
抗議声明の発起人の一人森達也監督は、2020年10月13日Newsweek日本版で「日本学術会議問題に僕たち映画人が声を上げた理由」という記事を寄せています。その中で20年前に「アメリカのアフガン侵攻に対する抗議声明」の時は、是枝監督とともに参加を見送り、その理由として「映画はスローガンではない」と考えていたからだと言っています。つまり「表現者はプラカードを担ぐな」と同じ考えだったわけです。
しかし、日本学術会議問題については、ナチス台頭時代や米ソ冷戦時代のハリウッドの赤狩りになぞらえ、表現の自由が侵害されると大きなプラカードを担ぐのです。
ハリウッドの赤狩りの歴史を僕らは(森達也監督は)良く知っているから黙っていられないと言うのですが、アメリカの昔の出来事になぞらえなくても、権力により表現の自由が侵害された身近な事件として「日活ロマンポルノ裁判事件」があるのに忘れているのでしょうか。世間にアピールするなら、ダルトン・トランボを気取った方がかっこいいのかな。
この問題、その後聞かないなあと思っていたら、半年ぶり(4月20日)に文化人からまた抗議声明があがりました。その文化人の中には映画監督として山田洋次監督の名前がありました。
単行本「俳優 原田芳雄」を読む
原田芳雄さんの生誕80年に発売された本
原田芳雄さんが2011年に亡くなってからもう10年経ちました。「赤い鳥逃げた?」が生涯ベスト1の私にとって、憧れだった人達が過去の人となり、何の情報も発信されることが無くなることは寂しいものです。
そんな中で昨年2020年3月(原田芳雄さんの生誕80年)に発売された「俳優 原田芳雄」(キネマ旬報社)を遅ればせながら読みました。この本は、夫人の原田章代さんに映画評論家の山根貞男さんがインタビューした話を中心に構成されています。
原田芳雄と藤田敏八
この本の中で、夫人の原田章代さんもカメラマンの鈴木達夫さんも言っているように、原田芳雄さんと最も波長の合った映画監督は藤田敏八監督だそうです。このコンビの最高傑作「赤い鳥逃げた?」の話をもっと知りたかったのですが、そこは期待ほどではありませんでした。
山根貞男さんの好みもあるのか、原田芳雄さんと映画監督の関係では、鈴木清順監督との話に一章割かれており、生前の本人インタビューも鈴木清順監督に関するものでした。
「赤い鳥逃げた?」には、原田芳雄さんの子ども原田喧太さんが出ているという話は、何かで知っていたのですが、この本でも章代さんが証言しており、確認できました。
喧太くん(「赤い鳥逃げた?」撮影当時で三歳前)は「野良猫ロック/暴走集団’71」のラストシーンにも出てくる子どもで、藤田敏八監督の思い付きで、「赤い鳥逃げた?」のラストにも出そうと急遽撮影され、後ろに章代さんも足だけ映っているそうです。